マウンテンミー(山と私)が血肉を蹴散らしながら右往左往する話

京都のドンバ、マウンテンミーの日常と非日常をお送りします。

謎ルール、やめようよ

大して記憶力が良い方ではないので、昔のあれやこれやは大概忘れてるんだけど、定期的に思い出す事象てのがあって。 

高校のときに、クラスメートから、「試合に負けて悔し泣きしたことなきやつは男じゃない」って言われたのが、当時かなりショックだった。

もちろん今言われたら「何言ってんだこいつ」って心の中で思って二度と付き合わないようにするだけなんだけど、自分に蓄積が何もない文化系オタクだった当時のわたしには、ずしんとのしかかって来てしまった。

運動なんてからっきしだったからそんな経験ないし、ジャンプ漫画とかも通って来た影響で、そのクラスメートが言っていることがひどく正しいものに思われて、「悔し泣きしたことがない自分」というのをすごく責めた記憶がある。

その後、地元を離れて、そうじゃない価値観にたくさん触れながらも、どこかでその言葉がひっかかっていて。

で、ようやく最近それがなんなのか気づいた。

世の中にはルールがあって、そのルールに従えば従うほど地位が上がる。

例えば、結婚。例えば、恋愛。例えば、就職。青春。葛藤。創作。家族。友だち。

そうしたものをより多く経験したやつが「えらい」らしい。

人より鈍感だからなのか、あまりそういうのに興味を持ってなかったはずなんだけど、私自身も「音楽でひとかどの人間になる」という創作の呪いにかかっていたことに、気づいた。

ルールや、レールに従うのは楽だし楽しい。

何よりそれに乗っかってたら安心感があるから。

わたしは、友だちがいない時期をさんざん過ごして、大学生になってようやく「友だち」と呼べる人たちが増えたけど、「恋愛」にも着手できたけど、なかったものを埋めるようにそれに過剰に執着することに躍起になっていた。

しんどかった。

おっさんになって、ようやくさまざまな呪いから逃れられて来たように思う。

さまざまな辛さの元凶はルールとレールだよな。

そんなものなくてもいい。

友だちとはたまに会ってあははと笑えたら充分だし、恋愛のあれこれはスパイスになるかもしれないけど、したくないのにしなきゃいけない、なんて強迫観念にとらわれるのはおかしすぎる。結婚も。親を大事にすることも。

この世から全ての「正しさ」が消え去ればみんな、というか、わたしが、か、楽に生きてけるのにね。

そんなややこしいことばかり考えているよ。