マウンテンミー(山と私)が血肉を蹴散らしながら右往左往する話

京都のドンバ、マウンテンミーの日常と非日常をお送りします。

忘れていく

昨日はクリスマスイブであり、というか、志村の命日だった。

毎年、何かしてるわけじゃないけど、ふと考えるくらいには気にしてたのに、今年は全然思い出して無くて、とあるエントリを見て思い出した。

 

→とあるエントリ

フジファブリック志村正彦が奥田民生を泣かせた日について - オトニッチ-音楽の情報.com-

 

志村が死んでから●年経ったのか、そら、俺も歳食うはずだ、ってのは、もはや季節のイベント化して来てて、そのイベント化がなんつうか軽薄な気もしていて、意識的に忘れてたのかな、なんて思うけど、単に加齢による、情緒と記憶力の欠如なんだな、と思う。

 

おととい。明仁さんの誕生日にネガポジ でモルグモルマルモのライブを見てきた。たろーも出てて(その日はたろーが最高に良かったんだけど)、名古屋の百長てバンドもかっこよくて終始にこにこしていた。ネガポジ 納めには格好のライブでありましたな。

2009年、の、12月24日、たまたま返す機材があって、藤谷んちに行ったときに、その口から志村の訃報を聞いた。

そのときも、そのあと数年も、志村が死んだことをわりと引きずったりしてたけど、同時に「それ、死んだ誰かという感傷に乗っかる、自分が一番嫌いなやつなんじゃないの?」という疑問も同時に湧いていた。

だって、志村は俺の友達でもなんでもないし、新曲は出ないにしても、いつでも歌は聞けるもんね。

でも、それはとんでもない間違いだと思い知らされた。生きてなきゃ、生きていないと、未来の話はできないんだ。

 

おとといのモルグモルマルモのライブは、でき、という意味ではひどかった。その一つ前に見たライブでの、どっしりとした安定感みたいなものはまったくなかった。

だけれど、めちゃくちゃかっこよかったんだ。

たぶん全国区まで、とも言わなくても「それなりに」客がついて来たバンドは、しかも、スリーマンのイベントという場なら、「安定の定番曲」をメインのラインナップに持ってくるんだと思う。

この日のモルグは、半分以上音源に収録されてない曲やっていて、前半なんて知ってる曲ほとんどなかった。

藤谷は前を向いてるんだな、なんて本人が言ってもいやしないことを考えてた。

俺が藤谷のファンになったときのことを思い出した。

お互いに齢30半ば。んでも、なお、そこにとどまらないのね。そんなんかっこいいに決まってるじゃん。

 

身内褒めも大概なのでここらでやめる。

だから、これから、の先を知ることができなかった、志村の死を悲しいと思うことや、そう思う自分を否定しなくたっていいと思ったよ。

ややこしいけど。

 

最後に。藤谷が書いた志村の訃報に寄せた記事から引用する。

 

「けど、やっぱりもっと志村の曲を聴きたかった。

下手くそなうたをもっともっと聴きたかった。

仕方がないので、自分でよい曲を作って、それを自分で聴こうと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=Ftb6j8LNMxA

↑これを超えるぐらいの曲を。

本当のことをうたうのは難しい。

ぼくの本当のことをうたった曲は、まるで冗談のようじゃないか。」

 

ちょっと前に、うちのドラムの姫と話してて、普段そんなこと言わない子なのに「思い出話って楽しいねえ」とニヤついていたのが、なぜだかとても良かった。

私は「過去を振り返るなんて、だっせえ」とか言いがちな痛い人間だったけど、今ではその姫の言葉に納得もしている。

今があって、忘れる過去もあって、覚えてることもあって、これからまた積もっていくことがあって、そういうのでできている毎日が私は好きだ。

メリークリスマス。